約 29,657 件
https://w.atwiki.jp/dazai/pages/4.html
概要 太宰治が1927年(昭和2年)4月から1930年(昭和5年)3月までの4年間、官立弘前高校学校に通っていときに下宿していた家。藤田家は太宰の親戚だった。 2006年(平成18年)4月18日、太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)としてオープンし、大正時代の和風住宅が概観できる1階部分と、太宰治が学生時代に使用した2階の部屋を自由に観覧できる。 太宰が使用した机、茶だんすなどがそのまま残されているほか、周囲には旧弘前偕行社(重要文化財)・旧制弘前高等学校外国人教師館(国登録有形文化財)などの太宰下宿時代の洋館が点在している。 旧藤田家住宅は、市指定有形文化財に指定されている。 詳細 時間:10 00-16 00 料金:無料 駐車場:4台 住所:青森県弘前市御幸町9-1 アクセス:JR弘前駅から車で10分 外部リンク ・太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)(弘前市)|津軽なび ・弘前市役所/太宰治まなびの家(旧藤田家住宅) ・Facebook 太宰治まなびの家 ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
https://w.atwiki.jp/inazuma1134/pages/14.html
藤田彩子 出身地 : 富山県南砺市 年齢 : 18 所属 : 私立八幡学園高等部 部活 : 弓道部 近年になって対妖魔戦で台頭してきた藤田家の娘。父親から幼少の時代より聖霊士としてのエリート教育をされ、生まれた時から妖魔と戦う事を義務付けられて来たため、極めて能力が高い。同時に幼い頃から習っていた弓道は百発百中の腕前である。親同士が戦友である為、幼い頃から織田家とも親交があり、普通に育てられている忠行をうらやましく思っていた時期も有った。 明るい性格であるが、大人しく責任感の強い性格であるため、なかなか自身の気持ちを表に出す事が出来ず、うちに溜め込んでネガティブになる事が多い。現在は対妖魔機関の準所属として戦闘のバックアップを行っている。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/18727.html
登録日:2011/08/31(水) 23 19 44 更新日:2024/06/14 Fri 15 31 38 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 1998年 ミステリー 城平京 小説 探偵 推理 童話 長編 ハンナはつるそう さかさにつるそう だい1ばんめのいけにえだ ニコラスは煮よう ぐらぐらと煮よう だい2ばんめのいけにえだ フローラはむこう ぐるぐるとむこう だい3ばんめのいけにえだ 『スパイラル~推理の絆~』や『絶園のテンペスト』などの原作で知られるミステリー作家・城平京の長編デビュー作。 当初この作品は第二部のみであり、氏が所属していた大学の文芸誌に掲載された。 後に毒薬の来歴や登場する業績を描いた第一章が追加され、現在出版されている今の形になった。 トンデモトリックやファンタジー要素の目立つ氏の作品の中で、それらが唯一ないと言える本格ミステリー(毒薬の効能は現実離れしているが)。 ただし後の作風に代表される「運命への反抗」といったテーマや、切なくほろ苦い結末は共通している。 また天才であるはずの人間が運命にフルボッコにされたり女性がやたらカッコイいのも変わらず。 抱える苦悩や背負うべき業、 逃れられない宿命といった、真相を明るみに出すことで、人間関係を徹底的に破壊してしまう功罪を描いた重厚にして悲壮なお伽話。 是非、一読をどうぞ。 【第一部:メルヘン小人地獄】 ある日、各種メディアに奇妙で怪奇な童話『メルヘン小人地獄』が送りつけられた。 それは毒薬を作った悪い博士と毒薬の材料にされた小人たちの因果を綴る復讐の物語。 程なくして、童話をなぞるように次々と猟奇的な殺人事件が勃発する。 その渦中に巻き込まれた藤田家で家庭教師を務める三橋荘一郎は藤田家の人々を守ろうと奮闘するが、やがて現れた脅迫者は完璧なアリバイと狡猾さで彼らを追い詰めていく。 荘一郎は苦悩の末、遂に知り合いの名探偵・瀬川みゆきに助けを求めることを決意した……。 【第二部:毒杯パズル】 世間を震撼させたメルヘン小人地獄殺人事件が解決してから二年後、藤田家で一人の人間が殺された。 それは本来なら死ぬ筈のない、最も理想的な毒薬が最も下手な使い方をされた不可解な惨劇。 あてのない旅を続けていた瀬川みゆきは事件解決の依頼を受け、再び藤田家を訪れた。 関係者たちの奇妙な背景が二転三転する中、徐々に宿業が否応なしに彼女へ突きつけられる。 果たして、真実はどこにあるのか……。 【登場人物】 ●瀬川みゆき 第二部の主人公。 無機質で冷淡な印象を与える長身のクールビューティー。 皆がサジを投げるどんな謎でもたちどころに解決するという天性の名探偵。 しかし、彼女が背負う宿命はあまりにも重々しく、そして哀しい。 「私は───愚かだ」 ●三橋荘一郎 第一部の主人公。 アルバイトとして鈴花の家庭教師を務める大学院生。 みゆきとは高校時代からの知り合いで、彼女にとって唯一の友人と呼べる存在。 温厚で面倒見がいい反面一度決めた事は曲げず、行動力がある為に先輩後輩問わず頼られる事が多い。 下宿生活が長いだけあり凄まじく料理上手で、レパートリーも豊富。 ●山中冬美 三橋の後輩。 学部生でありながら大学院に出入りし、教授や院生に可愛がられている。 ●藤田鈴花 克人と恵子の愛娘。 黒髪の可憐な美少女。第一部時点で13歳くらい。 昔から病弱で学校も休みがちで親しい友人もできず、男子からのいじめ(好意の裏返し)のせいで男性恐怖症気味。 最初は荘一郎にも脅えていたが、すぐに信頼し兄妹のように仲が良くなった。 その儚い美貌は、みゆきにとって逃れられない十字架の記憶と淡い希望の両方をもたらす。 ●藤田克人 学習関係で大きなシェアを誇るリース出版の社長。 温和な性格で妻子を何よりも大切に想っている良き大黒柱。 その善良さや情の深さが災いし、もし彼が亡き妻の遺言さえ実行していれば……。 ●藤田恵子 克人の妻。 人を見る眼に長け、冷静沈着で機転も利く悠然とした良妻賢母。 しかしその実、内面には相当な狂気を宿していた。 廃工場で全身を切り刻まれた状態で発見された第1番目の被害者。 ●武林善造 33年前、恐るべき毒薬”小人地獄”を製造したマッドサイエンティスト。 別に完成したそれを使って悪事を働いたり利益を得ようという考えはなく、 ただ単に優れた毒薬を作りたがっていた芸術家気質(存分に狂っていると思うが)。 ”小人地獄”が完成した直後、何者かの手によって殺害された。 ●国見敏夫 建設会社の部長から一転、会社の倒産と株の失敗で無職になり妻子にも見捨てられた56歳の男。 自宅の風呂場で茹でられた状態で発見された2番目の被害者。 死後、殺される直前に「コンビニで週刊誌のグラビアを食い入るように見た後、 クリームパンとパック牛乳を小銭で買った」ことまで報道されてしまう羽目に。 ●鶴田文治 かつて闇社会でその名を轟かせたブローカー。 しかし、最近は仕事を立て続けにしくじって今では完全に干されている。 実は昔、借金の肩代わりを条件に”小人地獄”の製造を手伝わされ、ワクチンを作る為に毒を飲まされるという人体実験までされていた。 その影響で「俺の体はボロボロだ!!」状態で、EDにもなってしまっている。 あるネタを使い、藤田家から大金をせしめようと恐喝を目論む。 【用語】 ◆小人地獄 アホみたいに超高性能な毒薬。 水にもお湯にもよく溶け、ほぼ無味無臭。あらゆる温度でも変質せず、酸化もしない。 飲んでから一時間後に効果が出て、心不全そっくりの症状を引き起こす。 たとえ遺体が解剖されても、心臓にも内臓にも痕跡が残らず、証拠を検出することは不可能。 死因は絶対に自然死としか判断されず、従って適切な致死量で使えば罪に問われない殺人を犯せる。 唯一の欠点として、致死量の二十倍を目安に飲み込めないほど強烈な苦みが生まれ、それによってすぐ吐き出した場合は生命に全く影響がない。 その材料や製造法も謎に包まれているが、必要なものに腐敗した大量の胎児がある。 ◆メルヘン小人地獄 何者かに手によってメディアに送られた童話。 悪い博士がとびきり凄い毒薬を作る為に小人の村を襲撃し、生き残った小人たちは博士への復讐を決意する。 だが、復讐に取りかかる前に博士がぽっくり逝ってしまった為、小人たちは怨みの捌け口を全く無関係な三人の人間へぶつけていく。 とびきり陰惨でグロテスクな物語だが、この童話自体があるトリック。 以下ネタバレ 真章と言える第二部で重要なのは「誰が、何の為に、毒を使ったのか」である。 ヒントは八百屋お七。 アニヲタは書こう じゃんじゃん書こう こもり こもって かきこだかきこ なおしてたして ついきしゅうせい アニヲタは書こう じゃんじゃん書こう だい4ばんめのいけにえだ △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 高3のときに読んだよ・・・やるせない思いでいっぱいになった・・・みゆきさんみたいな人に憧れる -- 名無しさん (2015-04-12 22 26 17) 自身の才覚や運命に自分や周りがどうしようもなく壊されていく様とそれへの反抗ってのはこの作者の作品の共通のテーマだよね。スパイラルや十字界なんかは特に。 -- 名無しさん (2015-04-12 22 48 58) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/t-kanai/pages/23.html
第二章第一節分 38 一、埼玉史談25-4昭和53年版 しの中で「主なのは『上州藤田系図』『武蔵藤田系図』『武蔵七党系図』であるという。始めの二つはともに『藤田安勝』なる藤田氏の子孫が上州に生存されていて、まず自家の「家譜を繕写して国峰興巌寺に寄納し」たもので、その時が「享保二年八月朔日」とされている。二つめのは、最初のもののうちから、本家にあたる武蔵藤田家関係を「抄出」し、その出身地の菩提寺である寄居の『正龍寺』に納めるべく「今復當寺に納めるために武蔵藤田の世系を抄録し」たもので興巌寺のものが『藤田家譜』、正龍寺のものが『藤田氏譜略』で當然前者が詳しい。三番目は大里村冑山の旧家根岸家に伝わった『七党系図』で『埼玉叢書』に収められている。これらからして「藤田」は「猪股党」からの分派で初代を『五郎政行』といい、系図には「別領武州藤田城邑因土為藤田氏、保元元年源義朝與平清盛於京城、政行従義朝與平氏戦有功」としている。そして以後三代源氏の忠臣として活躍したことになっている。 39 浄土宗全書十九巻 40 右同書15頁 41 右同書16頁 42 概説浄土宗史100頁 43 二十巻529頁下より531頁 第二節 44 浄土宗全書十九巻16頁 45 埼玉県寄居町 46 「郷土のゆみ」614~5頁 47 二「郷土のゆみ」寄居町教育委員会昭和五十六年発行の、614~5頁にある。 一は『授手印決答鈔並相承手次状』『授手印決答鈔藤田五重血脈(高声寺所蔵)』『藤田秘伝書、同血脈譜、注記見聞第一』『檀林飯沼弘経寺志、法水分流記』『浄統略讃、蓮門類聚経籍録』 二は『檀林鴻巣勝願寺志』 三は『傳通記授決抄序下(浄土宗大年表(藤本顕泰著)』 四は『埼玉史談』第二十三巻第一号に「沙禰性阿□永二年二月七日」なる川越市的場氏家氏所蔵板碑によるとのこと 48 「郷土のあゆみ」609頁 49 浄土傳燈総系譜15頁 50 三、この項「歴史地理」昭和三六、『良忠の東国教化と教団形成の過程』大橋俊雄師による 51 四、これも前記三による。それによるとまず建長6-7年『観経疏』を講義した。傍ら同六年八月鏑木胤定在阿の要請で『撰擇傳弘決疑鈔』を撰述した。その十二月には椎名八郎の特請で匝瑳郡に移住、翌年にかけ『観経疏定善義』から『玄義分』を講じた。
https://w.atwiki.jp/dagamatome/pages/35.html
桶狭間の戦いは今川の勝利 395 :人間七七四年[sage]:2011/12/15(木) 17 37 07.28 ID dRX6uR2j 桶狭間の戦い直後から翌年にかけて 今川が家臣にかなり感状を出してる。 あきらかに桶狭間の戦いは今川の勝利。 織田はまったく感状を出していない。 義元が病かなにかで死去して撤退しただけ。 影武者 織田信長 393 名前 名無し曰く、 [sage] 2013/01/25(金) 18 38 47.21 ID FajTfCBr 勝頼は長篠の戦いにおいて 信長を討死、もしくは半殺しの半身不随にしていると言う可能性が高い。 なぜなら織田軍は武田軍を追撃せずにさっさと帰っている。 長篠の戦いからしばらく経つと信長は花押をほぼ書かなくなり(書けない?) 朱印や黒印の印判ばっかり使うため、信長以外の人物がハンコを押して書いている。 天正9年に3/25に家康に宛てた書状の1通しか花押の書状はないわけだが それすらも過去の信長の花押と違うという点と、 あて先が三河守殿と書いていると言う理由から偽造の可能性が高いといわれている。 信長の替え玉として兄弟が立てられたのだろう。 謀反人の弟の子である津田信澄が天正3年から急速に地位を高めていく謎も 信長が戦傷が元で死んだためと考えると理解できる。 花押が書けないと言うの最末期状態だから相当終わってたんだな信長。 氏親の印判つきの今川のかな目録の分国法も 最近では氏親は脳溢血で花押が書けないと考えられ、 実際に分国法を作ったのはかな混じりの文章を書いていた寿桂尼だとされてる。 歴史検討において花押を書ける書けないは 健康状態や生死判断に利用されてるもんな。
https://w.atwiki.jp/yamanouchi_sudou/pages/44.html
山内首藤家文書二百十二 山名祐豊加判 塩冶綱 條書 (祐豊)(花押)コノ花押前210號文書ノモノニ同ジ 条々 一 官跡職代官事、守護於申付者、加思案可申出候 一 信敷内國分事、子細同然 一 雲州横田代官職事、公用貳千貫文可有取沙汰候 一 涌喜家事 一 永江事 以上 十月廿一日 塩冶左衛門尉綱(花押) 山内少輔四郎殿
https://w.atwiki.jp/medievalkenshi/pages/28.html
『静岡県史』 通史編 通史編2 中世 資料編 資料編5 中世1(1989年) 編年史料 治承四年(1180)八月十七日~元弘三年(1333)五月三十日 解説 花押一覧 資料編6 中世2(1992年) 編年史料 元弘三年・正慶二年(1333)六月一日~文明十一年(1479)閏九月二十七日 解説 花押一覧 資料編7 中世3(1994年) 編年史料 文明十一年(1479)十二月二十一日~永禄十二年(1569)閏五月三日 解説 花押一覧 印章一覧 資料編8 中世4(1996年) 編年史料 永禄十二年(1569)閏五月四日~天正十八年(1590)七月十三日 解説 花押一覧 印章一覧 別冊:付録1 中世資料補遺 別冊:付録2 中世資料編資料目録 ※編年 『静岡県史料』静岡県編(1966年) 第1輯「豆州古文書 駿州古文書」 第2輯「駿州古文書」1 第3輯「駿州古文書」2 第4輯「遠州古文書」1 第5輯「遠州古文書」2 ※限定版 昭和7-16年刊の複製 リンク 静岡県立中央図書館>マルチメディアデータベースシステムメニュー 静岡県立中央図書館>静岡県史編さん収集資料検索(歴文資料検索)メニュー
https://w.atwiki.jp/medievalkenshi/pages/32.html
『愛知県史』 通史編 資料編 資料編8 中世1(2001年) 編年資料 文治元年(1185)~貞治元年・正平十七年(1362) 国守・知行国主一覧 花押一覧 解説 資料編9 中世2(2005年) 編年資料 貞治二年・正平十八年(1363)~文明元年(1469) 守護・守護代・守護又代一覧 花押一覧 解説 資料編10 中世3(2009年) 編年資料 文明二年(1470)~永祿二年(1559) 棟札など 石造遺物一覧 真宗関係画像等裏書一覧 室町幕府奉公衆一覧 守護・守護代・守護又代一覧 花押・印章一覧 解説 リンク
https://w.atwiki.jp/yamanouchi_sudou/pages/49.html
山内首藤家文書二百二十六 山内隆通條書并毛利元就等連署返書 条敷 、一 宮家并東分小怒寄、其他久代、當時知行之儀、一所茂不殘、元就以御扶持、可致知行事、乍去備中八鳥山之儀者、 無申分候事、 、一 多賀山儀、我等同前ニ於致馳走者、不可有御等閑与之御兩三一紙之可預御神文事、 、一 永江之儀、江田末代不可及存分事 。一 和知(智)村之儀、近年之姿ニ三吉此方可申付事、 、一 信敷之内、先年者國者共少つゝ知行雖仕候、如只今可申付候、追而誰哉者申候共、不可有御同心事 、一 高光儀、我等同前之覺期候之条、先知行無相違、以御意可致知行事、 。一 涌喜家事 、一 於御国一所可被懸御意事、 、一 此条敷のおくに、何をも無相違可被仰付与之後神文候て、元就、隆元、隆家可有御加判事、 以上九ヶ条 半切之紙敷參枚、此内白紙一枚、裏判貳つ在之、 天文廿二 十二月三日 山内少輔四郎 隆通(花押) 宍戸隆家 參 (違筆) 此御ヶ条内、和智、涌喜之儀者、不致合點候、其外之事ハ、悉令合點、進之候、若此儀偽候者、日本國大小神祇可蒙御罰者也、 天文廿ニ 十二月四日 山内少輔四郎殿 右馬頭 元就(花押) 備中守 隆元(花押) 左衛門尉 隆家(花押)
https://w.atwiki.jp/medievalkenshi/pages/23.html
『群馬県史』 通史編 通史編3 中世 資料編 資料編5 中世1(古文書・記録)(1978年) 第一部 古文書 長楽寺文書 正木文書 第二部 伝法関係聖教并びに附法状 第三部 記録 第四部 系図 附録 花押一覧 印章一覧 古文書編年目録 解説 資料編6 中世2(編年史料1)(1984年) 鎌倉時代~南北朝時代 (治承四年(1180)~明徳三年(1392)) 補遺 花押一覧 解説 資料編7 中世3(編年史料2)(1983年) 室町時代~戦国時代 (明応四年(1393)~元和四年(1618)) 編年によらない史料 花押一覧 解説 別冊:群馬県史資料編中世1・2・3資料別目録 資料編8 中世4(金石文)(1983年) 第一章 彫刻類 第二章 塔婆類 第三章 金工芸類等 補遺 解説 付録 索引 ※2~4は編年 リンク 群馬県立文書館>群馬県史 八木書店>史料纂集 『長楽寺文書』